interview

No.002

今回は、土佐市で「さおり織り」の布を使い、洋服やマフラー・バッグや小物雑貨まで魅力的な作品をいきいきと制作されている「手おり 樂布」の戸室かず子さんに「さをり織り」との出会いから現在までをくわしくお聞きしました。

経糸と緯糸が織りなす美しさと感動から生まれたオンリーワンの商品

No.002 || 話し手 : 戸室かず子さん 「手おり 樂布」代表
聞き手: 片岡佐代

全ては娘が原点です

「手おり 樂布」代表 戸室かず子さん

娘が小学校1年生のときに、光の村の学園長先生が執筆された「もうひとつの教育―土佐・光の村からの挑戦」 という本と出会いました。

「さをり織り」のはたおり機
このはたおり機で織られた布が美しい作品に生まれ変わっていきます。

「さをり織り」との出会い

──「さをり織り」を初めたきっかけは?

娘のためです。うちの娘は重度の自閉症で多動もあり、ひとつのところに座っていられない子なんです。とにかく座って作業をさせたいので、最初刺し子を教えました。色々と工夫しながら教えているうちに、一行二行と縫えるようになりましたね。でも、手先だけの作業だと体を持て余すんですよ。

──その頃はまだ試行錯誤だったんですね。

娘は当時「光の村(光の村養護学校土佐自然学園)」に通っていたのですが、「学校を卒業した後に、何か仕事になるものを」と思い、ミシンを教えました。でも「なんとなく娘にぴったりじゃないな」って思ったときに「さをり織り」に出会ったんです。

──それはいつ頃ですか?

16~17年前ですね。当時は埼玉に住んでいて、地域の手織りクラブに入れてもらいました。

──そこで教えてもらって始められたんですね。

それが、縦糸の張り方が難しくて……。その後、色々本を読んだりして勉強しました。それから5~6年後に娘と一緒に織物を体験させてくれるというところを見つけて。旅行を兼ねて行ってみたら、布が織り上がるから楽しくて、帰ってから娘に織り機を買って教えたらのめり込んでしまいました。

──お嬢さんはすごく気に入ったんですね。

織った分だけ成果が見えますからね。それでたくさん作品ができたので、埼玉の障害者交流センターで作品展をやりました。そしたらそれが大反響で、交流センターの人から「こんなに人が集まる展示会は初めてだから、次回もぜひやってください」と言われましたが、娘が埼玉に帰ってくるのは夏休み・冬休みだけ。「それならば高知に教えに行こう」と、光の村に毎月1週間ずつ通うことになったんです。それで織り上がったものを埼玉まで持って帰って、作品に仕上げて。

──それで展示会をまた開催されたんですね。

次の展示会では取材依頼をしました。「展示会で娘が布を織ることになった経緯(重度の自閉症で、光の村で教育を受けて織るようになった)を毛筆で書いて表装して飾っていたこと」を書いて、新聞社やいろいろなところに手紙をお送りしました。

──さすがの行動力ですね。

それがNHKの取材チームの方の目にとまり、取材に来ていただけました。おかげさまで展示会が成功したのですが、その後主人がアルツハイマーを発症し、高知に通うのが難しくなって。なので、主人が仕事をリタイアしたことを機に、娘の予後を見守りながら光の村の子供たちにさをり織りを教えたいと思い、埼玉から土佐市に引っ越しました。

埼玉から高知へ

──そもそも高知の光の村で教えていたのは、娘さんが通われていたからなんですね。

そうです。娘のためです。うちの子は将来社会生活できないと言われるほどの重度の自閉症でしたから、小学校へ入学するまではずっと私達が面倒を見なければいけないと思いながらも、日常生活のことを一応できるように教えてきました。娘が小学校1年生の時に、光の村の学園長先生が執筆された「もうひとつの教育―土佐・光の村からの挑戦」という本と出会ったんです。光の村の教育が書かれた本で、吉川英治賞を受賞した本なんですよ。

──運命的ですね。

「知的障害者は弱くも愚かでもない。生かされる暮らしから自分で働いて生きる暮らしができる」っていう内容の本だったんです。そのときは、中学から全寮制のこういう学校があるんだなとを知っただけでした。娘が小学校6年生になったとき、親しくしていたその障害児学級の中学校の先生に「娘さんは自閉症が重いから、うちの学級に来ても十分な教育はできないから光の村の教育がいいよ」って言われて。それで光の村に体験入学に行きました。

──それでは高知には全く縁がなかったんですね。

ないです。だからその本に出会えなかったら高知には行かなかったと思います。秩父に光の村の分校ができたので受験したんですが、その年は定員6人のところ入学希望者が14人もいて。娘は自閉症が重かったので不合格でした。でもどうしても光の村の教育を受けさせたいと思い、高知の本校に「どうしても入りたい」と何度も何度も粘ってお願いしました。私があまりにも粘るので、電話口の方が「学園長先生に相談します」とおっしゃってくださいました。「学園長先生に話がいけば、入学はもう大丈夫」と思って待っていたら全然お話が来なくて、「やっぱりだめなのか」と思っていたら小学校の卒業式の3日ほど前に入学許可証が届きました。

──つまり、今の「手おり樂布」があるのも、「すべてはお嬢さんのため」がきっかけなんですね。

そうなんですよ。それ以外にありません。

工房「手おり樂布」の誕生

──「手おり 樂布」の工房はいつごろ始められましたか。

2017年の2月からですね。それまでは「光の村」で9年教えていました。

──工房を始める前と後での変化はありましたか?

光の村では、こちらの要求通りに織れる子供は40人の中で5人もいないんです。織った布ありきで、「この布で一番いいものは何ができるだろう」という作品作りです。

──だからこんなに魅力的な作品に仕上がるんですね。

織ったものの中で、良い物は服にする、ダメなものはバッグにするとか、そういうふうにして作品にしていきました。先日の展示会でもポーチなどの小物をいいとこ取りで作りましたが、その際に使えた布が5本だけだったんです。実はここには40人の人たちが織った布が100本あるんですよ。

──そのうち5本しか……。

布だけ欲しいという方はなかなかいらっしゃらないから、「この100本を作品に変えないと」と思っています。

──作品を作るときにこだわっているところはありますか?

さをり織りは、布自体が柔らかく目が粗い。だから洋服などは細かいデザインができないんですが、着たら体のラインに沿って服になり、織った布のまま端っこが活かされるような服になるよう目指しています。でも、服にできるような布を織れる子は40人の中で10人ちょっとくらいなんです。うちの娘たちがいる施設はみんな重度の方で、言葉もしゃべれない人もいるし手先の作業をしたこともない人もいます。

──服にできる布を織るのは難しいんですね。

その日のその人の状態によりますね。綺麗に織れる時もあれば、全然やる気がなくてスカスカの布ができたり。ただ、自閉症の方は機械のように織ります。しかもすごく速い。自閉症の方は、教えてあげればそのとおりにできる特技があるんです。でも、知的障害の人が作った服は、縞模様が等間隔に織れていなかったりします。

──でも、そこがいい味を出していますよね。次にこの工房についての思いをお聞かせください。

やはり、みんなが織っている布を何かに変えてあげないといけないと思っています。ここの工房では商品として作りたいし、販売したいので。

──樂布を今後どういうふうに展開していきたいとお考えですか?

今、ボランティアで無料で縫製しているので、最終的には今の作品の値段に縫製代を上乗せできるような魅力的な作品にしたいです。作品のデザイン力や技術力を上げて、より魅力的な作品を提供したいと思っています。

何事にも前向きな戸室さんです。
人生の試練をプラスに変え、ステキな作品の制作を続けられています。

作品はクオリティーの高さには見合わないリーズナブルな価格、しかもオーダーメイドがほとんどとのことです。お話を伺っている間にも「さおり織り」の生徒さんが織り機で練習していたり、お客様がバッグを買いにこられたりで気軽に立ち寄ることの出来る人気の工房となっているようです。

購入ご希望の方は下記までご連絡を、優しく丁寧にお応えいただけます。

聞き手: 片岡佐代

手おり 樂布

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